指圧コーラル通信
2007-08-18T11:09:42+09:00
s-coral1
今日からしばらく自宅で養生。家はいいねぇ。
Excite Blog
すぐれもの
http://coral1.exblog.jp/6149067/
2007-08-18T11:01:00+09:00
2007-08-18T11:09:42+09:00
2007-08-18T11:01:57+09:00
s-coral1
雑記
モデル母
石垣島の友人、さんぴん工房から小豆枕が送られてきた。
ちょうど腹水がたまり、お腹が腫れ足がむくみ、背中に痛みが走り、つらい毎日だった。湯たんぽを病院からかりて、背中に当てたら、少しだけ楽になったところだったので、すごくタイムリーな贈り物だった。この小豆枕、1分ちょっと電子レンジでチンして40分ほど温かさがもつ。
ほのかな小豆の匂いがして、冷め方もゆっくり。冷めたあとも、ほんのりと温かみが残っているようなかんじがする。
二つ送られてきたので、仰向けに寝て、腎臓の裏あたりに小豆枕をあてて寝た。ぐっすり寝て、朝目ざめると足のむくみが少しとれていて、びっくりした。
「膝によさそう」「私も使ってみる」と家族に大好評。
小豆枕のカバーはなんとさんぴん工房の手拭い。
14日から退院して家にいるが、帰ってきた日、はしゃぎすぎて、熱がでてしまった。その後微熱がつづき、今日久しぶりに熱が下がった。いつも同じ失敗を繰り返している。副作用とうまく付き合わなくては…。
今はまっているのは「山田太郎ものがたり」。昔漫画で読んでいたんだけど。ドラマにしても面白い。笑えるドラマで楽しめているのは、「マンハッタン・ラブストーリー」「のだめカンタービレ」以来かな。
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ぬくもり
http://coral1.exblog.jp/6131918/
2007-08-15T23:35:00+09:00
2007-08-16T07:22:42+09:00
2007-08-15T23:35:32+09:00
s-coral1
雑記
その日、沖縄は大雨だった。
キビさんはアキラさんのライブのために沖縄に来ていたのだ。アキラさんとキビさんと3人でいろんな話をした。アキラさんは頭の中にたくさんものが詰まっているらしく、インドの聖人の話をしてくれた。
弟子が聖人(すご~く有名な人だけど、名前はすぐに忘れた。これもまた副作用か?)のところへいって聞いた。「先生、生きるとはなんでしょうか?死ぬとはなんでしょうか?」聖人は答えた。「マンゴーをたべなさい。マンゴーを…」。
アキラさんは私の勧めた石垣産マンゴーを食べながら、そんな話をしたので、冗談かなって思った。すると、インドでは、マンゴーの木の下にねっころがってマンゴーの実が落ちてきて口に入るまで待つという修行があるそうである。
アキラさんが帰りがけにお守りをくれた。
幻覚キノコを使うシャーマンのお守りだそうだ。中にはカカオの実と巻貝の化石。さっそく首から提げて、ぎゅっと握るとぽっとあたたかい何かが手の平に伝わってきた。
安心するお守り。それにしてもオレンジ色っていい。
アキラさんは波照間や石垣まで行く。私はまだライブにいけるほど回復していないのが残念だ。せっかくなので、もらったチラシから、これからの日程を書き出しておく。
【沖縄本島】
8/16(木) うるま市「MOGU MOGU」
19時開場 20時開演 1500円(1ドリンク付き)
うるま市みどり町4-12-10 090-5486-4428
【宮古島】
8/24(金) 宮古島「クォーター」
19時開場 20時開演 1500円(1ドリンク付き)
宮古島市平良市字下里108
(「ホテル アートルエメラルド」宿「でいご」の近くで、「沖縄パンツ」のお店の奥です」)
090-6106-8811(伊藤)
【波照間島】
8/28(火) 波照間島「パナヌファ」
19時開場 20時開演
1200円(ドリンク代別・中学生以下無料)
沖縄県八重山郡竹富町475 0980-85-8187
【石垣島】
8/31(金) 石垣島「カフェタニファ」
19時開場 20時開演 1200円(ドリンク代別)
沖縄県石垣市大川188 0980-88-6352
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元気のもと
http://coral1.exblog.jp/6125067/
2007-08-14T23:57:00+09:00
2007-08-15T00:13:52+09:00
2007-08-14T23:57:58+09:00
s-coral1
雑記
先月末、入院した翌日からひどいめまいで元気のなかった私…。
夜、父が「これ、読めるか?」と買って来てくれたのがこの本。
実際に読んだのはずっとあとだったのだけど、その日、母も姉も私もツボにはまって笑ってしまいました。体調が悪いだけでなく、かなり落ち込んでいた時に、父から初めてもらったプレゼントです。29歳のとき、親友が乳がんになりました。手術を終えた彼女の病室に毎日のように顔をだしていたのですが、「たまちゃん、お願いがあるんだけど…」「なんでも言っていいよ。」
「『ダディ』が発売だから買ってきて」と言われたときくらい笑えました。『ダディ』は郷ひろみの本です。古すぎるかな?
お父さん、ありがとう。
本の選択は最高でした。読んだ後、私も何かしなくては!といろんなことを思いました。急に東国原知事に注目です。政治家としての手腕がどうとか、人間としてどうとか、そんなことよりも、人にやる気をおこさせることを書ける人というのは、すごいと思います。
今日、手術後初めて、階段を上りました。兄の家にピアノをかりにいったのですが(両親は一階に住んでいる)、家に戻ったうれしさから何でもできるような気になっており、あわてて迎えに下りてきた義姉に言われて、「初めて」だって気がつきました。
病気のときって、できなくなっていることが多いものです。友人に腰を支えられて、ゆっくり一段ずつ階段を上がっていきました。オモト岳に登ったときより達成感ありました。
兄の長女のピアノをかしてもらって、友人に軽く何曲かひいてもらいました。
彼女の指が鍵盤におりた瞬間、ピアノの音が小さな♪になって、体にあたる…。え?なんだこりゃ?錯覚?CDとかで聴くのと違い、ピアノから奏でられる本物の音が部屋の中に踊っていて、体全体がやわらかい何かで包まれているように感じ、病気のために痛い腰も背中も軽くなって、しゃんとのびました。
音楽ってすごいですね。
それを敏感に感じている自分にもびっくりしたけど。
友人はいきなり演奏しろっていわれて、「え~」って、あちこちクーシャビーラ(ほころび)の演奏内容でしたが、気持ちがよかったです。おM、ありがとうね。見舞いにきて、ピアノまで弾かせちゃって。もし、今回体調がよいようなら、階段リハビリもかねて、ピアノの音に癒されてみようかと思います。]]>
入院中
http://coral1.exblog.jp/6095250/
2007-08-10T20:38:31+09:00
2007-08-10T20:38:32+09:00
2007-08-10T20:38:32+09:00
s-coral1
雑記
先月末から入院しています。入院した翌日から、回転性のめまいで立ち上がれなくなりました。腹部に水がたまったそうで、足がコゾウの足みたいに(見た事ないけど)むくんで、歩くのもままならない状態。そして、しつこい睡魔に取り付かれ、ほとんどの時間を寝てるか、寝ぼけているか…。便秘にも苦しめられ、メールも指がもつれて打ちにくくて、短いメールにも最低30分以上はかかっていました。今日わかったのですが、これも副作用らしいです。手の平、指が熱くなって痺れています。おとといから、問題の薬をストップして、頭がクリアーになったお陰で、副作用であることがはっきりしてきました。というわけで、どうなっているのか心配していた皆さん、失礼しました。体調は日替わりどころか、分替わりです。
草加から、親友が看病にきてくれました。黄色は復活、再生の色なんだそうです。納豆をまぜる器に花をあわせる…。わが友人ながら、すごいセンスです。この花のせいか習字がならいたくなりました。
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明日から入院
http://coral1.exblog.jp/6001833/
2007-07-29T18:03:00+09:00
2007-07-29T18:51:24+09:00
2007-07-29T18:03:45+09:00
s-coral1
雑記
26日に内科の外来で疲れきって、その日から飲んでいる薬の副作用なのか、おなかの膨満感で苦しんでいる。そのうえ、うんこがでない。そして、相撲取りかハラミントゥ(妊婦)のように息があがってハアハアいうのだ。
27日は外科の外来だった。久しぶりに会った外科の先生方はあかるくて、ほっとした。10時半には帰宅できた。
27日は友人夫婦が石垣からでてくるついでに会いにきてくれることになっていた。前夜も友人が来る予定だったが、飛行機のトラブルとかで、夜10時半をまわってから、「今、空港についた」とう電話がきて、薬(新しい薬は睡眠薬の作用も強い)を飲んでしまった私は眠くて、結局会えなかった。この日も午後に友人からメールがきて、飛行機が遅れて、私に会いに行くのが遅くなるとのことだった。8時半出発予定が10時半に変更だったそうだ。
この日は石垣の四か字の豊年祭だった。島の青年会の友人が、登野城の旗頭の写真とオンプールの写真を送ってきてくれた。青空に登野城の旗頭が映えていた。そしてアーマーオンの前庭には紺地の着物に身つつんだおじさんたちが座っていた。実にかっこよかった。
豊年祭の石垣に思いを馳せているうちに寝てしまった。しばらくして友人から、「今から行きます」というメールがきた。場所はわかっているので、タクシーで来るという。私は待ちきれなくて、外に出て待った。友人夫婦は途中でタクシーを降りたらしく、なだらかな坂をゆっくり上ってきた。私は手をふりながら、近づいていった。正直いって、外をこんな風に歩いたのは初めてだった。友人がやっと私に気がついて(どこかの男の子だと思ったそうだ)、手をふりかえしてくれた時、涙がでて、子どものように泣いてしまった。めがねをとって、袖で顔をぬぐいながら、それでも鼻水をたらしている私にご主人は驚いたと思うが、何も言わなかった。最近、まったく感情のコントロールがきかない。もともと泣き味噌なのだが、今はところかまわず、泣いてしまう。それも激しく。
友人はその朝作ったという豊年祭のカーサもちをもってきてくれた。そしてずっと食べたかった八重山そばも…。それから一緒に活動している八重山探検隊が、今回の南山舎の「やいまガイドブック」に、これまでまとめた子ども用の資料を短くまとめなおして載せるという仕事をもらっていたのだが、、その「やいまガイドブック」も持って来てくれた。写真が赤くなっていたのが残念だが、もしよかったら、探検隊の資料(井戸、豊年祭、八重山の星)見てもらえるとうれしい…。
その日の夜遅く、桃太郎青年が、カーサもちの写真を送ってくれた。私が豊年祭を好きなことを知っていて、少しでも豊年祭の空気を伝えてくれようとして写メールを送ってきてくれたのだと思う。。
翌日も、3人の友人が豊年祭の写真を送ってきてくれた。それから初めてテレビ電話をした。友人がマイツバオン近くで農高生が踊っているところとか、アヒャー綱を中継してくれたのだ。一緒にテレビ電話を覗いていた姉も感激していた。ツナノミンは電池切れだったらしく、中継はとぎれたが、Nちゃん本当にありがとう。とても嬉しかったよ。そして、夜遅く…。他の友人からミヤトリオンの写真が送られてきた。実は私が豊年祭で一番好きなシーンなのだ。
字石垣と登野城は兄弟村で、マイツバから旗頭が自分の村に戻るとき、登野城は字石垣のミヤトリオンでご挨拶をする。私はなんでか、そこに来るとジーンと胸が熱くなる。前に聞いた話しだが、登野城がミヤトリオンを辞して登野城に帰るとき、字石垣の旗頭が送っていく、途中まで来ると、今度は登野城の旗頭が、村に戻る字石垣の旗頭を送っていく、そして、今度はまた字石垣の旗頭が登野城を送り…。昔は朝方まで旗頭が離れがたい恋人どおしのように送り、送り返し…だったそうだ。今はどうかな?でもその話を聞いてから、登野城の旗頭がアーマーオンに帰りついてガーリーをするまでの時間が好きになったのだ。
Aさん、ありがとう。豊年祭の余韻を感じることできたよ。
3日もあけると書くことが多くなってしまう。
今日もおなかがはって苦しいのだが、ちょっと前から少し楽になったので、更新することにした。
明日から、入院。また携帯からの投稿になってしまうので。
8月の始まりとともに、二回目の抗がん剤の治療が始まる。
「調子はどう?」って聞かれると、「よくなっているよ」って答えている。
手術前に比べると、調子はよくなっている。でも急に疲れたり、息がきれたりする。眠くなったり、腰や背中に痛みがでたり。お世話になった方や、今現在お世話になっている人に手紙を書こうと思っても、気力がでない。机の前に座って、しばらく考えて、また横になる。次回退院して家に戻ったら、お手紙がかけるくらい元気になっていたい。
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外来
http://coral1.exblog.jp/5978684/
2007-07-26T14:43:24+09:00
2007-07-26T14:43:24+09:00
2007-07-26T14:43:24+09:00
s-coral1
雑記
今日は外来で病院内科へ。朝8時半に採血をした。両親と三人外来のソファで待つ。2時間を過ぎるとバテてしまった。やっと診察室に呼ばれた。
数値がよくなっているのが二つ。悪くなっているのが二つ。
悪くなっていたのは、ここ暫く心配していた痔からくる貧血。もう一つは先週の退院時に16000まで落ちていた白血球がまた4万まで増えていた。これを聞いたら、貧血の患者らしくふら~となってしまった。
「心配しないでいいですよ。薬の作用がきれてきただけですから。腫瘍からでている物質が悪さをしてるんですよ」
先生の言葉に改めて、外科的な手術だけではみなとれないよ。薬を併用して治療をすることになるからという、最初のころ聞いた治療方針を思いだした。
今日は昼前には病院をでて、文具屋に連れていってもらうつもりだったが、輸血することになった。あと4時間。静かにしてなきゃ。
以前は献血が好きだった。自分がもらう側になって有り難いもんだと感謝している。私は二度と献血できないけど、献血できるくらい健康な人はぜひやってください。お願いします。
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毎日何してるの?
http://coral1.exblog.jp/5970863/
2007-07-25T14:04:00+09:00
2007-07-25T14:05:27+09:00
2007-07-25T14:04:40+09:00
s-coral1
雑記
何人もの人から、質問を戴いたので、一応報告します。
でも、たぶん内容的にはオチがないので、おもしろくないと思いますが…。
大学時代、夏休みに帰省したことないのだけど、もし、夏休みに島に戻ってたらこんな暮らしをしていたのだろうなっていうような生活を送っています。グータラが基本です。
私の問題は白血球が多く、炎症反応が強かったことです。そのせいなのか、異常なほど冷や汗をかきました。術後、熱はだんだん出なくなり(といっても、常に解熱剤を飲んでいる)、夜の一時微熱がでるくらいまで落ち着いてきています。懐かしい友人が訪ねてきて、興奮した夜などは38度まであがりますが、体はきつくないという不思議な熱です。
問題は汗…。
以前は食事後もびしょねれになるくらいの汗をかきました。冷たい汗です。夜中に6度も着替えたことがあります。点滴をしているので、ナースコールをおして、「はやくきてください。寒いです」って震えながら待っていました。術後は家族が泊り込んでくれたのと、点滴を首の血管からとっていたので、自分たちで着替えることができました。その氷水のような寝汗も少しずつ出なくなり、退院する頃には、普通の寝汗がひどいくらいになり、家に帰ってからは、一度着替えるくらいまでになりました。それでも汗はすごくて、特に左腕からかき始め、頭がびしょびしょになります。汗が冷たい時はドライヤーで乾かしていましたが、今はとっても短髪にしたので、タオルで拭くだけで間に合うようになりました。髪を短くしたのは、汗対策です。
うん?話がずれました。
朝、6時から7時ごろ、父が起きてきます。その頃までに、私は目が覚めていて、汗で不快な気持ちになりながら(クーラー入っているけど)、父が新聞をもってクマのようにリビングを歩いているのを眺めています。私はリビングの隣の座敷にふすまを開けっ放しにしたまま寝ています。
7時半ごろ、母が大急ぎで朝食を準備し、BSで「どんとはれ」を見ながら、食事をとります。
それから薬をのみ、私の大事なお仕事「トイレ」に行きます。使っている薬の影響で、便秘がちになるので、これが大変です。便秘がちなのに、便をやわらかくする薬を飲んでいるので、いつもトイレは「あ~、すっきり」とは行きません。でも今は「いきむ」ということができるようになっただけ助かっています。病気よるのでしょうが、術後の「痰対策」と「便秘対策」はかなり深刻なものがあります。私とうとう切れ痔になりました。先生があわてて、「今免疫落ちているから、ばい菌はいると大変だからね」って座薬を出してくれましたが…。少々ビロウな話で申し訳ない。
トイレからでたら、布団で横になります。とっても疲れているので…。
その後、体調がよいようなら、シャワーに入ります。そしておなかの傷や腕にはった痛み止めなどの薬をとりかえたりします。座薬をいれて、また横になります。
お腹や背中に不快感が出たときはそのまま寝ます。時には即効性のある痛み止めを飲んで寝るときもあります。
お昼ごはんがすみ、またトイレ入り、団扇で扇ぎながら頑張ったあと、昼寝をします。
兄の子たちが遊びにきて、なぞなぞを出せと強いられることもあります。
体調がよければ、イスに座って、テレビを見たり、新聞をみます。今はネットを立ち上げてブログを更新するというのも楽しみの一つです。
夕方、食事が終わったら、トイレと格闘し、読書をして、寝ます。
6月に入院したころ、左目に障害がでました。
グレーにみえる卵型の場所ができて、それだけでなく、そこの部分はものがゆがんで見えました。眼科でみてもらったら、卵型に白く変性していました。経過観察をしていましたが、手術が終わって、最初の薬での治療が終り、体調が回復するにつれて、小さくなっていって、退院の日には、アラグスク島の上地と下地のミニチュアみたいに小さくなっていました。ブログを更新できるようになったのも、変性している部分が小さくなって、携帯の画面を見るのが苦痛でなくなったからです。
私は基本的にお出かけしません。
体力がまだないからです。
先日、期日前投票をしに、豊見城市役所に行きました。せっかく昼間でたのだからと、そのままジャスコの本屋に行って、本を買ったのですが、大変疲れて、二日ほど寝込んでいました。
暑さのせいもあると思うので、買い物は夜にしようと決めました。
最近の変化は昼間寝すぎると、夜中目が覚めることです。
これは体調がよくなってきている証拠です。前は昼間どんなに寝ても、夜の10時になると寝てしまったからです。そして朝の5時前に目が覚めました。
あと、夜のトイレの回数が一回くらいに減ったこと…。
先日、夜中にトイレに行ってから布団に戻ったら、それから眠れなくなってしまいました。それで、手術前にもらったメールを読み直して、できるだけお返事を返しました。全部の人には無理ですが、ずっと気になっていたので、少しお返事しただけでもほっとしました。
でも今日、見直したら、読んだはずなのに、初めて読むようなメールをたくさん発見しました。
やはり体調が悪いときにいただいたメールは少し記憶があいまいなようです。なかなかまともにお返事できなくてすみません。
さて、オチがない…。
入院しているとき、石垣で手芸屋をしている友人が、ジーンズに似合いそうなニット帽を編んでプレゼントしてくれました。私は頭が小さいのですが、その帽子は少々大きかったので、伸ばさないように誰にもかぶらせないことに決めました。
その日、母と姉と叔母がきました。
母は頭が小さいのでかぶるのをゆるしました。すごく似合っていて、自分で「フランス人みたい(?)」と喜んでいました。おしゃれな叔母も大変似合いました。いつもよくしてくれる姉の頭が大きいからといって、仲間はずれは悪いと感じたので、姉ちゃんにもかぶってもらいました。一番似合っていました。私がかぶると…。「カリメロ」っていう卵をかぶった鳥のアニメを連想してしまうのは自分だけだったのでしょうか?
次の日、内科の先生たちの回診にあわせてニット帽をかぶって待っていました。青い帽子をかぶってベッドに腰掛けている私をみて、先生は「どうしたの?」って聞くので、「K先生が、薬の治療を始めたら、一週間くらいで髪がぬけてくるっていったので、友人が編んで送ってくれました」といったら…。端っこにいたK先生、そうとうおかしかったらしく、下をみて、ふきだしていました。深刻な台詞だけど、私の姿が笑えたらしい。次回、入院したら、外科の先生方の回診のときにかぶってみようと楽しみにしています。
やっぱり、今日はオチなしです。
すみません。
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強運の人
http://coral1.exblog.jp/5966046/
2007-07-24T22:01:00+09:00
2007-07-26T19:41:11+09:00
2007-07-24T22:01:36+09:00
s-coral1
雑記
腕に点滴をしているときに写したので、ちょっと分かりづらいかもしれないが、腕にしているこのオレンジのミサンガ(ブレスレッドというのか)は、元を担いで験をかついで買ったものだ。
5月、石垣島の病院で、「急性胆のう炎」という診断で4日ほど絶食をしていていたのだが、朝の血液検査で、腫瘍マーカーの値が高いことがわかり、那覇に転院が決まった。すぐに数時間の外出を申請して、自転車で町に出た。点滴だけでいたので、そうとうふらふらしていたのだが、自転車にのって市役所に行き、高額医療の手続きをし、市民課でうつろな目つきの証明写真を出して航空券の離島割引のカードを作った。その後、行きつけの店「石垣島キッズ」に立ち寄り、那覇に移ることを話した。心配顔のキッズ夫婦に見送られて、自転車にのり、ふらふら走り始めたのだが…。その私の目の前に黒い肌の青年がニコニコと笑って、両手を広げて、「ウェルカム!」と言った感じで、私を待っていた。私が密かに「強運の人」と呼んでいる青年だ。
数年前のことだ。
友人Aが、悩んで相談しにきた。
「ねえ、商店街の一角に、店がころころ変わる場所があって、今日みたら、外国人がアクセサリー屋をだそうとしているんだよね。あそこは店が長続きしない。外国からきてすぐにつぶれる場所に店をだそうとしているから、心配で…。手紙を書こうと思うけど、どう思う?」
「何かくつもり?」
「だからよ~。ここは場所が悪いので、つぶれる前に撤退したほうがいい…って」
「ばかか、お前は(私は口が悪い)!そんな縁起の悪い手紙だしたら、単なるいやがらせだよ。心配なら、オープンしたら何か買いにいけ!」
というわけで、友人Aはさっそくブレスレッドを買いに行き、その後も店の前を通るたびにお客さんが入っているかをチェックして報告するようになった。
この店の主は強運の持ち主なのか、友人の心配していたようにはならず、それどころかそのお店のおかげで通りが明るくなり、店もますます賑やかになっている。
私が密かに「強運の人」と彼を呼んでいるのはそういうわけだ。
その彼が両手を広げて、私を迎え入れようとしている。
普段アクセサリー類を買わない私だが、ふらふらと自転車からおり、最初に目についたオレンジ色が元気なブレスレッドを買うことにした。そして、彼と握手をした。
きっと彼の強運を分けてもらえたと思う。
後日、このことを友人Aに話したら、「(あの店で)買ってくれて、ありがとう」とお礼を言われた。]]>
KとGへ
http://coral1.exblog.jp/5947431/
2007-07-22T17:01:00+09:00
2007-07-24T21:26:42+09:00
2007-07-22T17:01:00+09:00
s-coral1
雑記
二人が私の病気のことを知って、動揺しているという…。
ある友人が言っていた。
「親が病気になるより、同級生が病気になるほうが、うけるショックが大きい」
それは、同級生が亡くなったとき、私も感じた。
それで、治療の見通しがたつまで、島の同級生には、何も言わずにいたのだが…。
ここをみているかわからないけど、
KとG。
心配しないでください。
私は以前の私と何も変わっていません。
いや、変わったこともあるかな…。
前は、将来を心配していた。病気になったら、どうしよう。歳をとったらどうしよう。
特に病気になったら、自分の人生が変わってしまって、何かが奪われると思っていた。今、そんな風には感じていない。
病気になる前も、闘病している今も、私自身は「今」生きている。
生きていることにかわりはない。
生活はもちろん変わったし、これからの長い闘病生活で、人との付き合いもかわっていくことだろう。でもそれは、結婚したり、子どもができたり、引っ越したり、留学したり、そんなことと一緒なんだと思う。
ブログという不特定多数の人がみる場所に、自分の闘病生活のことを書いているのは、以前自分が抱いていたのと同じような恐怖を持っている人が他にもいるかもしれない、できたら、そういうわけでもないよって、わかってもらえたら…と思ったからだ。特に私たちの年齢はこれからいろんなことがおこって来るだろうから…。
KとGだけでなく、島の同級生の人でこれを読んでいる人がいたら、どうか、私を憐れんだり、心配したり、自分の将来にいらん恐怖をいだかないでほしい。あと、私の人生が終わってしまったかのような噂話もしないでほしい。
私が私の人生の中で病気をするとう経験をしたのは、きっと、私への神様からのプレゼントなんだと思う。両親や家族の愛情を強く感じることができたし、これまでの人生がどんなに楽しくめぐまれたものであったかもわかった。友人や恋人への信頼と尊敬も深まったし、感謝と喜びを感じる瞬間が多くなって、以前よりも、私の人生はきらきらしている。
もちろん、ふてくされたり、落ち込んだり、ぐちったり、そんなこともある。それは病気をする前も今も一緒。
生きている。
今、私がここにある。ってことはかわらないのだ。
というわけで、小学校二年からの付き合いのK。
五年から友人になったG。
黙っていてごめんね。
昔とかわらず、今もこれからも、私たちは友達です。
もし、那覇に来ることがあったら、声をかけてください。会いましょう。
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MRIの問診
http://coral1.exblog.jp/5947002/
2007-07-22T15:45:51+09:00
2007-07-22T15:45:51+09:00
2007-07-22T15:45:51+09:00
s-coral1
雑記
MRIの検査をする前に、いろいろと質問される。
体に金属が入っていないかという質問があって、若いころから自分で自分の体に金針をいれてきた自称「やぶ」のわが祖父は、その金針のせいで、MRIがうけられなかった。
注:”やぶ”ってのは、針をうつ医者のことらしい。ちょっとくわしいことはわからないけど。島ではよく耳にする言葉。
病室で、向いにいたおばあさんは、そんな私の祖父と同じ歳。
耳が遠いが、頭の回転のはやい、きれいな人だった。
私が昼寝から覚めると、ちょうど看護師さんが、おばあさんに翌日のMRIの検査の問診をしていた。わかりやすく噛み砕いた質問が続いて、最後の質問は…。
「あのね、前の戦争でテッポウの玉とか、破片が体に残っていませんか?」というものだった。
満で89歳。
たしかに、その年代でなくても体に破片が残っている人がいる。普通にいる。
でも、あらためて、「沖縄だな」って思った。]]>
草加せんべい
http://coral1.exblog.jp/5946935/
2007-07-22T15:31:16+09:00
2007-07-22T15:32:01+09:00
2007-07-22T15:32:01+09:00
s-coral1
雑記
埼玉の草加にとてもお世話になった家族がいる。
7年前、視野狭窄と診断され、島に戻る決心をした。(視野狭窄は今はなくなってしまった)
仕事をやめ、帰るまでの数週間その家でお世話になった。
それまでもよく泊まりにいった。いつも私のパジャマが用意され、ベッドも用意され、まず人様の家で、自由に冷蔵庫を開けられるくらいの関係って、かなりめずらしい。
きっと心配するだろうと思って、手術が終わって、自分で電話できるようになってから、その家に電話した。そして、これまでのことを話した。病気に関しては、その家族もこの15年、いろんなことがあったので、私が手術をうけられて、よかったと喜んでくれた。
「おばちゃん、草加せんべいが食べたい」とわがままをいった。
今日、そのせんべい送られてきた。
手紙が入っていて、達筆な字で、お見舞いが書かれていた。
読んでいるうちに涙と同じくらいの量の鼻水が出て、顔がぐしゃぐしゃになった。
ちょうど、昨日から泊りがけで見舞いにきてくれた石垣の叔父夫婦が、飛行場に行く前に挨拶にきてくれたのだが、ちゃんと挨拶もできなかった。
草加せんべいは、少しだけ味がこいのだが、一枚食べて、しばらくすると、また一枚食べたくなる。ご飯のあとで、二枚も食べてしまった。
手術をしたあと、氷のはいった冷たい飲みものや、固いもの、甘いもの、もう二度と食べられないのだろうと思っていたが、人間の回復力ってすごいもんだ。
今日は氷を入れたアイスコーヒーとカチカチの草加せんべいをぺろっと食べた。
先日髪を切って男の子みたいになっている。
短くすると、髪って立つんだ。
メガネをとって、鏡の前にたつと、狩俣倫太郎とよく似ていた。
私、結構たれ目だったらしい。やせると、顔ってかわる。
とはいっても、家に戻ってから、何を食べてもおいしくて、この数日で、体重が増えてきている。
顎がとがって、はっきりしていた輪郭も、そろそろあぶない…。
布団を動かすな、窓を開けるな、扇風機をもつな、ついつい何かして怒られている。
人間少し動けるようになると、どこら辺から自分の限界なのかわからずに動いてしまう。
昨日はおなかが筋肉痛だった。足も筋肉痛。
箸よりも重いものをもたない王女さまのような生活をしつつ、わがままにならないようにするにはどうしたらよいものか…。
母は大きな赤ちゃんの世話に一生懸命だ。悪いなぁと思いつつ、とにかくよくなることが恩返しなんだと言い聞かせる。
トイレに入って、長い間いると、両親のどちらかが、私を探す声がする。どこかで倒れていないか、具合が悪くなっていないか心配しているのだ。
良くなり始めると、良くなったような気がして、無理をするものだ。
今日も痛み止めの張替えが遅くなって、背中から痛みが出てきた。
しばらく我慢していて、主治医たちが繰り返し言っていた言葉を思い出した。
「痛みも吐き気も、絶対に我慢しないでください。いろんな薬がありますから。すぐに声をかけて薬を飲んでください」
しかし、習性なのか、痛くなり始めると、すこしでも長く、と我慢してしまう。
で、今日も我慢している途中で、あ、我慢しなくてもいいんだって思いだし、即効性のある痛み止めを飲んだ。そして30分くらい横になっていた。
我慢しない」ということを自然にできるようになった頃には、もう治っているんだろうなぁ。
友人からの手紙にあった。
「がんばらない。あきらめない」
それに「我慢しない。無理しない」をくわえよう。
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鼻歌
http://coral1.exblog.jp/5933074/
2007-07-20T19:27:00+09:00
2007-07-20T19:29:25+09:00
2007-07-20T19:27:14+09:00
s-coral1
雑記
隣の人のラジオから、八重山民謡が流れてきた時なんかも、恥ずかしかったので、一緒に歌いたくなってもがまんした。イチジクかんちょーをされて、トイレでうーんとがまんしているときも、気晴らしに歌いたかったけど、外に聞こえるのが恥ずかしくて、歌えなかった。
家に帰った今、歌えるようになったのだが…。
でてくる鼻歌は「せいくらべ」と「線路はつづくよどこまでも」になってしまう。
これはあまりにもおなかの傷が印象的だったせいだと思う。
実は手術で切った腹の傷をちゃんと真正面からみたのは、退院してからだ。それまでは上からみているので、臍のあたりがどうなっているのかよくわからなかった。
帰宅して風呂場の大鏡に体を写したとき…。
みぞおちから、まっすぐおりてきて、へその左をぐるっとまわって、体の中心線に再びのびて終わっている線路のような長い傷があった。
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さしみ
http://coral1.exblog.jp/5932911/
2007-07-20T18:58:00+09:00
2007-07-21T13:27:10+09:00
2007-07-20T18:56:07+09:00
s-coral1
雑記
薬の副作用で、食欲がなく、食事が運ばれてくると、においだけで吐きそうになってた時期がある。ご飯の時間が苦痛で、食事が運ばれてくるとため息がでた。先生が「何でもいいです。食べたいと思うものを食べてください」と言ったので、吐き気のない時に、食べたいものを考えた。
さしみ
さしみだったら、食べれるかもしれない…。
私の親は与那国の人で、石垣に移り住んでからも、与那国の親戚から魚を送ってきた。私は子どものときからカジキなど与那国で捕れた魚を食べて育った。
母に「さしみが食べたい。わさびをきかせて。キュウリとさしみ」と言った。
私の中で刺身はカジキマグロなのだが、さすがにそれは無理で、母がスーパーから刺身の盛り合わせを買ってきてくれた。その中から、マグロを4切れ食べることができた。数日振りにおいしいと思った。
今日、与那国から叔母がカジキを送ってくれた。
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おおお!
http://coral1.exblog.jp/5932832/
2007-07-20T18:45:00+09:00
2007-07-20T19:00:37+09:00
2007-07-20T18:45:14+09:00
s-coral1
雑記
さんぴん工房の一筆箋!
今体調がいいから、お手紙かこうかなぁ。
そういえば、入院中、さんぴん工房の手拭いは役にたった。冷や汗に苦しめられていたので、首に巻いていた。朝、大量にでる手拭いを母が洗面所で洗い、かってに母が「洗濯物干し場」と決めた窓辺を飾っていたっけ。看護師さんたちも、「どこで買うんですか?」って聞いていた。
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心を保つといこと
http://coral1.exblog.jp/5932790/
2007-07-20T18:37:00+09:00
2007-08-15T00:28:14+09:00
2007-07-20T18:37:43+09:00
s-coral1
雑記
彼らの仕事ぶりを見て、「プロだ」と何度も感心したし、信頼して体を預けていた。
それでも時には腹がたったことがある。
若くて、やる気まんまんのSさんに「私たち看護師は患者さんがよくなってくれることを願ってがんばっているんですよ。だから、どうか、私たちのためにも頑張ってください。よくなろうと努力してください」と言われたときは、「一番よくなりたいと願っているのは本人だよ」と言い返しそうになった。はずしてもいいといわれている腹帯を巻いていたので、「もう巻かなくてもいいんじゃないですか?これはまかないほうが治りが早いんですよ」と言われたあとだったので…。そのことは私も知っていたけど、私の中に腹帯をしないでいることへの不安がまだあって、もう少し楽に横向きができるようになるまでは、腹帯をしていたかった。
彼女の発言を素直にとることができず、押しつけのように感じた。彼女には一度、痛み止めの注射を落とされ、そのまま放置されてパニックを起こしたことがあったので、信頼してなかったからかもしれない。
まあ、苦手だったのは彼女くらいで、相性の問題と、タイミングだから、あまり気にしないようにしていたら、そのうちそんなにたいしたことでないという気持ちになれた。
さて、退院した日のことだ。
退院手続きがとても長くかかり、私と母はへろへろになった。
やっとすべてが終わって、帰宅できる!というときに、主任看護師さんがあらわれ、
「もう、退院ですか?よかったですね…。そうだ、これからあとあと役に立つようなシステムがあるので、ちょっと説明しましょう。家族だけでは対処できないことってありますよね。プロが自宅までうかがってお手伝いできるってのがあるんです。」と言い出した。
この病院では定期的に心理カウンセラーが回ってきて、話を聞いてくれる。母は、カウンセリングのことだと思い、「じゃあ、お願いします」といった。
彼女はPHSを取り出すと、「ちょっと待ってください。『相談室』に連絡入れますね」と言って、私たちの前で電話し始めた。
「そう、今日、退院する患者さんですが、あとあと、必要になるので、説明してもらいたいんです」
そして相談室に案内され、説明者があらわれるまで、主任と母と三人で話しをした。おもに、精神世界や心理療法、ペインクリニック、カウンセリングなどについて…。
しばらくして説明する女性が入ってきた。なんだか戸惑っているようにみえる。
主任が席をはずし、相談室の人がみせたのは、「訪問看護の説明書」だった。
それでやっと、わかった。相談室の人が戸惑ってたのは、紹介された患者があまりにも元気そうで、若かったからだ。母もびっくりしたらしい。
訪問看護は、家で寝たきりになっても病院にいるような看護を受けられるというものだ。
退院後、あとあと私が必要になることって?これのこと?
私は治るつもりバリバリなのだが、今日の退院もそれへの一歩なんだけど、違っていたのかしら?
正直いうと、私はかなり落ち込んだ。
主任は「あとあと必要になると思うので」と言っていた。
私の手術は成功したといわれた。毎日回診にくる内科外科、どちらの先生も日増しによくなっていると笑顔だった。薬の治療も効果がでてきていると言っていた。私は先生たちを信頼しているし、まず最初の告知自体一人で聞いた。家族も何も隠している様子はない。自分自身よくなってきていると確信している。大丈夫だ。主任は出張が多く、私のカルテをあまり読んでいない。私が夜寝れなくて昼間寝ているのが多かった時期、副作用で横になっていることが多かったときも、「朝、昼、晩ちゃんとノルマを決めて、歩くことをしないとだめですよ。歩くことで傷の治りが早くなるんですからね」と、状況に対して的外れなアドバイスをしていたじゃないか…。
そんなに深い意味はないと分かっていても、病気だからか、言葉がぐるぐる頭の中を回って、ふっきれるまで、少々かかった。
闘病しているときにこんなに敏感になっているとは思わなかった。
体のケアだけでなく、心のケアが大事だとあらためて思った。
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